内容についてさらっと書くようにし始めた理由は、自分が感想読み返したときにそもそも何の話か思い出せない可能性は結構高いなと思ったからです
・内容
まこと、じいちゃんと会う
まこと、母に女装を話す
あおい、母と暮らす
以下ネタバレあり感想
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・まことの母について
まこと母が過剰に女装に忌避感を示す理由は、父が女装していたからなのか~
捨てたマニキュア使われてたり、出張と嘘ついて夜の街で女装するのはキモイな
思春期に「うらやましかった、お前が」とか父に言われるのはダメージがあることは想像に難くない
のだが…
別に父親が女装しようが自由じゃんね?
養育してもらってるならそんなに自分の人生に関係ない事じゃん
許容値低いなあ
とか最初思っちゃったんだよね
でもそれって、自分は両親がまともで両親の存在が恥ずかしいと感じる瞬間が人生で無かったから共感できないんだと気づいた
外でやめてくれよそんな行動…みたいに思ったことない
書いてていきなり両親への感謝が込み上げてきた
まともな人間でありがとう
閑話休題
まあマトモって難しいよな
迷惑をかけない事か?
他人の心に常に阿ることか?
自分の行動に責任を持つということか?
そんな主観的なモノ、立ち位置と視点であっという間に覆ってしまう
まこと祖父も嘘をつくとかごみを漁るとか、まこと母視点で見れば許容できない行動を行う危険な存在に映る
なので嫌うし、女装も悪の行動に見える
けれども夜の街でつるんでいた人たちからすれば、まこと祖父は自分と同じ趣味を持った同志である
皆で集まるために時間を捻出する、皆と格好を揃えるなど気も使う
責任を果たした先は家族ではなく彼らだった
まこと母は父の優先順位の取捨選択で捨てられる側だったという話なんだよな
・おじいちゃんと会う
そしてまこと視点の物語なので、まことのおじいちゃん家への訪問は"普通の世界"として描かれることになる
まことにとって、おじいちゃんと会った時にも特に害を成す存在ではなく、自分と同じ趣味を持つ同志として存在した
だから会いに行ったあと受け入れてもらえたし、裁縫も化粧も衣装を着たりもした
きっとまこと母が主人公なら祖父の家は邪悪な空間として描かれるんだろうけど、そうはならない
何故なら、まこととまこと母では視点が違うから
そのまことから見た世界を一緒に見てほしい、というのがデパートで一緒に買い物するくだりなんだよな
・まこと母への告解
告解と書いたのは、まことの母への女装暴露は結局のところまこと母へ赦しを請う話だと思うから
まこと母から見れば、罪を告白される形になるのよな
まこと母には、"女装とは忌み嫌う邪悪な行いである"というバイアスがあるから女装を見ると悪であるように感じていた
だから女装するまことは、世界から嫌われる悪行を行って自らの幸せを投げてしまうのではないか
そんな不幸を味わってほしくないからと教育したのに、結局は女装されてしまう
でも世界は女装を気にしていることはない
道行くまことはごく普通の存在であった
まこと母のように忌み嫌う人がすべてなんてことはない
だからまことは「幸せだよ」と伝える…
それに対するまこと母の「でも思ってるより人生って長いのよ」ってフレーズ、凄い沁みたなー
葬式のカットイン的に、まこと母は人生から父を除外してしまったので、祖母に先立たれて一人にしていることを心苦しく思っているのかな
これ祖父の行動の結末でしかないのにね
女装は家族を幸せにしなかった、その爪痕がずっと残っているんだなまこと母の中に…
そのくせ、まことは女装をすることでも幸せになっている
やるせない気持ちだろう
だからまことに何も言わないし、家に帰って愚痴をこぼす
自分の覗いている世界の形は自分にだけ厳しいのだから
泣くのも止む無し…
そしてまことはすっきりできてよかったね
別に他者の理解があってもなくても行動は変わらないにしても、理解はあったほうが気が楽だもんな
なんてね
でもなあ、これって結局ポジショントークなんだよな
子供だから親に対して考えを押し付けるだけ
こうであってほしいを押し付けられていたように感じていたとは思うけど、親からの自己の利益ではなく本気で幸せを願う他者への献身という名の愛であると、そのうち理解する日が来るのだろう
だけどそれは今ではない
分かってはいることだけど、ちょっとまこと母は報われないなあと思うのでした
まあ子供が幸せであれば本質的な願いは達成しているから報われているのか
ただ素直そう喜べないよな
人間って難しい
人の幸せを願うとは斯くも難しき事也
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卒業式してたし次でラストなのかな
終わり